何のためのその仕事?
2022年2月8日
浦安バイパス沿いの展示場で数年。今井橋通り、南行徳のオートバックスの近くで数年店をやって今の所へ移転。現在の場所で平成2年に展示場をオープン。もう32年前だ、87-32=55歳。ノリノリな時ですね。その頃は常にトラックを30~40台展示していました。バブルは崩壊したと言っても、今に比べれば仕事は山のようにありました。
千葉県の入り口、東関東自動車道、千鳥町近くの下り車線から丸見え、トラックの高い座席から良く見える展示場です。借地とはいえ浦安や南行徳に比べ4~5倍広くなりました。並べれば直ぐに売れる、並べれば直ぐに売れると商売繫盛。関東はもちろん、全国的にもお客さんも増え、この頃から千葉の原と言えば、中古のトラック屋として名が通っていったと思います。
そして、27年程前に私が入社し、父、母、私、で3人体制へ。父60歳。自分は27歳の頃。
業界で20年以上の父。決断力も早く、体もデカく、声もデカく、豪快オヤジだったので(笑)業界で頭角を現し始めたのか?千葉や東京近郊のメーカー、ディーラーの営業さんの携帯番号、振込み先(そして袖の下)などを網羅し始めました。その頃手伝いだした自分。原の息子として、すぐに知り合いが増えていきました。と同時に、「お前のオヤジは汚い、約束を守らない!」という声を聞くようになりました。
?・・・・ あれほど厳しかった父? 正しい事を厳格過ぎるほど子供たちに躾?をして、約束は守るオヤジだと思っていたのに?汚いのお言葉?
一緒に仕事を進めていくほど、その汚いが見えてきました。
同業者に売ると決めて仕入れたトラック、よく考えてみりゃ~こりゃ~自分で展示して売った方が高く売れると分かれば、同業者との約束は✖。どう言われようとそんなものは関係ない。
自分は高校を卒業して、10年ほど現場仕事で修行をしていましたので営業職は初めて、よく「生き馬の目を抜く」なんて言葉を聞きますが、叩き上げでここまできた父は、やっぱり凄いな!なんて思いながらも…
そんな時、松戸の運送屋さんからの買取り依頼。付き合いも何度かあったようで、互いにお世話になっていた仲。私が買取り査定をして商談成立。交渉を進めている間、お客さんがお金を急いでいるということは、なんとなく分かりました。運送屋さんは金繰りが厳しくなると、トラックをお金に換え資金繰りをする人が沢山います。取り引き当日、トラックを目の前に、事務所で現金を目の前に置き、なんと!札束ひとつ(100万円)を抜いた父。と… これでもいいなら買っていくという言葉。
お金を急いでいたお客さんは、それでもやむなく売却。数ヶ月後、倒産して自殺しました。
昔、自分がやられて嫌だった事を自分でしていた父。金が人間を、思考をも変えてしまうんですね。
何のための仕事だろう?
何のためにその仕事をしていますか?深く考えたことがありますか?
私はこうなってから、深く考えるようになりました。
今日も一日ありがとうございました。
2月8日 火曜日 No.180