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おじいちゃん

2022年2月12日

 代々続いたお店を潰し、新たな生き方へ歩み出した、おじいちゃんと、おばあちゃん。とその家族たち。おばあちゃんも豪邸に嫁いだとばかり思っていたろうに… 正直大変だったと思います。しばらくして、母と弟を会津若松から呼び寄せ、狭いアパートで家族四人での生活が始まりました。

 

 

 

引っ越してくると、母は、山の中のガソリンスタンドでアルバイト。スタンドで、ニッコニコに笑っている白黒の写真を見た事があります。笑 数年後、東京へ出て、おもちゃ工場で就職。

 

 

 

おじいちゃんは遊覧船乗り場の切符売りを始め、おばあちゃんは食堂で働き始めました。数年働いた頃、五色沼に大きな会社の保養所(立派なホテル並み)が建つということで、誰か真面目な人は居ないか?ということで二人は推薦され、住み込みでの管理人となりました。

 

 

 

「もはや戦後ではない」と言われた昭和30~40年代、モータリゼーションが花開き、マイカーブームに旅行ブーム、その時代とちょうど重なり保養所は大盛況、過去を振り返っている間など無く大忙しだったそうです。あまりの忙しさに、自分が小学3年、姉が小学4年生の頃から、夏休みとか、春休みの間は、ず~っと手伝いに行く様になりました。

 

 

 

優しくて大好きだったおじいちゃんが、仕事ともなれば、そりゃもう厳しくなり、言葉遣いから、配膳の仕方、皿洗いの仕方、布団のたたみかた、掃除の仕方とみっちり仕込まれました。あまりの厳しさに泣きながら皿を洗っていた記憶がありますが、(笑)それがあったお陰で、今の生活の基本が出来ていると思っています。休暇シーズンは大忙しですが、他の日はメンテナンスをする程度で仕事も少なめ。広~い敷地には池もあり鯉も泳いでいましたので、今思えば、若松の家とだぶらせて見ていたのでは?ないかと思います。

 

 

 

ちっちゃな頃から足にしがみついて離れないほど、大好きだったおじいちゃん。管理人として… 67歳で死去。ちょっと早かった。本当は何をしたかったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

若松も雪は多いですけど、裏磐梯はもっと、とんでもなく豪雪地帯です。よく雪かきをしました。おじいちゃんとおばあちゃん。お姉ちゃんと俺。楽しかった♪いい思い出です。

 

 

 

今日も一日ありがとうございました。

2月12日 土曜日 No.183

 

 

 

 

 

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